神道は宗教?

皆さんは神道を宗教ととらえていますか?

Wikipediaでは

一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。

とあります。あまり私にはあまりしっくりきません。私たちが宗教を考える時、必ず教祖はだれ?と思いますよね。つまり教祖がいるのが宗教と考えられます。また、新興宗教をいわゆる宗教と考えることもできます。

神道は天照大御神をはじめとするたくさんの神々と太陽、月、星、山、自然、現象、、、取り上げたらキリがないくらいたくさんのものを対象に拝んでいます。私も初めてこうやって文章にしていますが、改めてその対象の多さに驚きました。

こうしてありとあらゆる「もの」や「こと」に神性を見出して拝んでいるのが神道です。この考え方の素晴らしいのは排他的にならないことです。一神教だったら、その他の神を排斥しようとしますが、神道にはそれがありません。これを宗教と言えるのでしょうか?

ある政治家が昭和天皇が崩御された時に「葬式は宗教行事だから参列しない」と言ったり、学校で「神社に参拝するのは宗教儀式だからやらない」と言っているのを聞いていると何を考えているんだろう?と思ってしまうのです。

日本は天皇が国を守るために毎朝祈りを捧げている唯一の国です。その天皇が崩御されたら国民が哀悼の祈りを捧げて何が悪いでしょうか?それは政治を超えた常識の部分だと感じます。

そして、戦前は当たり前に朝日を拝み夕日を拝み、何かあれば神社に御礼にお参りをしていたのです。それは日本人としての習慣であり、親から子へ当たり前に継がれていきました。それが戦争で神道を利用され、誤解が生じたのもあるのですが、神道への偏見が芽生えました。そして今では学校で祈るという大切な行為でさえ宗教と捉えて教育しなくなってしまったのは残念でなりません。

また、西洋の文化が入り込み、華やかな西洋文化に目を奪われました。そして日本の華やかとは言えないが清らかな優美な文化は忘れさられていってしまったのでした。

これは霊主体従から体主霊従への変化を意味します。どういうことかと言いますと、日本人が元来持っている八百万の神々への感謝を持つ意識は見えないものにも意識して感謝するという事ですが、それが見えるものだけを大切にする意識に変わっていったという事です。これが資本主義の典型的な考え方でもあるのですが、お金や物を持っていることがいいという意識に変わっていったというとわかりやすいかもしれません。

なにごとの おわしますかは 知らねども

かたじけなさに 涙こぼるる

これは西行法師が詠んだ歌ですが、私も思わず「そうだよね〜!」と頷いてしまうような句です。この見事な歌に私がここで言いたいことの全てが入っていると言っても過言ではありません。

使い捨てを平気で行い、他人事に目を奪われて我を忘れてしまったり、目先の利益のために全体の事を考えずに行動したり、、、これらは自分の目の前のことに感謝する気持ちがなくなったことから生まれてきます。感謝という気持ちを常に持っていれば、使い捨ては出来ず、他人にも気遣いや優しい気持ちが持て、目先のことに走らず、常に今やっていることの結果を考えて行動できるはずです。今の生活の中で一つでも気が付いて感謝する行動ができたら、とても大きな変化になっていくはずです。

他人が見ていようがいなかろうが、常に神と共に生きていると信じていれば、常に感謝の気持ちを持つことができ、傲慢や身勝手な行動がなくなっていくでしょう。

コロナ騒ぎで日本は緊急事態宣言が発令されました。それで何が起きたかというと、宇宙から見た地球の大気が綺麗になったのがわかったそうです。2ヶ月間自粛しただけで、大気が綺麗になったのなら、何とかこの状態を保つために、今までの生活を考えるべきではないでしょうか?何が私たちに出来るのかこの機会に考えてみてください。みんなが一つでも気が付いたら、日本だけでも1億の気づきが生まれます。これはとても大きな気づきです。その気づきのあとに何があるのかはまだわかりませんが、きっと次の世代の礎になると思います。

この気づきはもともと感謝する事を生活の中に持っていた日本人だからこそ必要なのです。私達が古代から根底に持っているこの感謝という生活様式を復活させる事で、資本主義から次の新しい文化へ移行していけるのだと思います。

うまく表現できなくて、わかりにくいかもしれませんが、最後まで読んでくださって有難うございました。