アンドロメダドリームファンタジー

第3章 『クーデター』

アンドロメダ 銀河皇国の女皇、 ユアサミ ヨ皇帝陛下 は 、 その深い慈愛に満ちた統治により、皇国の民から 敬愛の念を持って 「皇国の母」と呼ばれ ていたのは前述したとおりである。
しかし 、 その存在を疎ましく思う勢力も存在し、いつしかそれは反乱軍として皇国とユアサミ ヨ 皇帝の治世を脅かす存在となっていた。
ある時、ついに反乱軍がクーデターを起こす。ユアサミ ヨ 皇帝が、他のアンドロメダ銀河の星々の国へと巡行している隙を狙ったのである。皇帝が留守の間は3人いる皇位継承者のうち、2人が皇国に残り、皇国の守護を任されていた。皇帝の第3子の皇女と、第5子の皇子である。


クーデター軍はその2人に近づき、ユアサミ ヨ 皇帝が皇位継承の取り決めを破棄し、皇帝の座を第 17 子であるニギハヤヒ皇子に譲ろうとしていると囁いたのである。冷静に考えれば荒唐無稽なデタラメな話と分かるはずなのだが、確かに日頃からユアサミ ヨ 皇帝のニギハヤヒ皇子に対する寵愛ぶりは目を見張るものがあった。第3子の皇女と第5子の皇子がユアサミ ヨ 皇帝に猜疑心を持ち、ニギハヤヒ皇子に嫉妬の心を燃やしたのも無理からぬものだったのかもしれない。普段から争いごとの無いアンドロメダ銀河皇国では、人々の間で偽証や嘘偽りが交わされことは殆ど無い。他人を疑う事を知らない皇女と皇子の純粋な心が災いし、ユアサミ ヨ 皇帝へ反旗を翻す結果となったのである。
こ のクーデターにより、無数の皇国民は宇宙をさ迷う流浪の民となった。そしてアンドロメダ銀河から遥か離れた銀河系の星、地球へ向かっての逃避がはじまったのである。

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第2章 『アンドロメダ銀河皇国とユアサミヨ皇帝』

アンドロメダ銀河の中心に存在する天体、アメノホアカリダマ。その緑豊かで広大な大地に 遥か昔、愛の皇国があった 。
深い慈愛による統治を行い、奴隷制度を許さな ず 、生きとし生けるのも全てが喜びに満ちた人生を送る という国。 その名をアンドロメダ銀河皇国といった。
皇国の女皇の名は「ユアサミ ヨ 皇帝」という。彼女はその深い慈愛に満ちた統治により、皇国の民から「皇国の母」と呼ばれ、敬愛の念をもたれていたのである。
皇国の都はその大地のほぼ中央の平野部に位置している。山岳地帯や大海原も広がる世界の中で、もっとも肥沃な土地であり、皇国の民が暮らすのに適しているのである。
その都の中心に、女皇 ・ ユアサミ ヨ 皇帝陛下が住む宮殿がある。この宮殿の外観は日本の古墳時代の建築物に似ている。入母屋作りで屋根の勾配は 45 度。屋根を飾る鰹木、千木があり、まるで日本の神社建築物の様でもある。


この宮殿の中に女皇陛下の他、 76 人の皇子、皇女が暮らしている。宮殿の中において皇子、皇女は完全なる一夫一妻制であり、同じ 76 人の配偶者とももに暮らしている。
そして女皇陛下、 76 人の皇子、皇女とその配偶者の身の回りの世話をする侍従、侍女を合わせると、数百人の人がこの巨大な宮殿で暮らしているのである。
また、 76 本の巨大な塔が宮殿を取り囲む様にそびえ立っている。中心にある宮殿から半径 480 メートル離れた場所にまず 6 本の塔が宮殿を守護するかの様に等間隔で建立されている。そしてその 6 本の塔を線で結んだ円からまたさらに 480 m離れた位置に今度は 8 本の巨大な塔が宮殿を取り囲むように等間隔でそびえ立っているのである。そしてその 8 本の塔を結んだ円からまたさらに 480 m離れた場所に今度は 6 本の塔が…というように、宮殿を中心に 6 本、 8 本、 6 本、 8 本と巨大な塔が幾重にも建築されているのである。この無数の塔のうち、宮殿にもっとも近い最初の 6 本をア・シュール、 2 番目の 8 本をカ・シュールと呼んだ。
3 番目以降はハ・シュール、ナ・シュール、マ・シュール、イ・シュール、キ・シュール、ヒ・シュール、ニ・シュール、ミ・シュール、ウ・シュールと呼ばれている。無数の巨大な塔の数々のうち、ウ・シュールと呼ばれる 6 本の搭が、もっとも外周に位置するのである。
ア・シュールからウ・シュール層まで全部で 11 層、総数にして 76 本もの塔が宮殿を囲んでいるのである。そして宮殿の 76 人の皇子、皇女はそれぞれ担当の塔が決められており、この塔の守護者として宮殿と塔を行き来しているのだ。その 76 人の皇子、皇女の中でもユアサミ ヨ 皇帝に特にその能力を認められた 3 人の男女が、宮殿にもっとも近いア・シュールの 6 本の塔のうち 3 本に配置されているのである。皇帝の第3子である皇女、第 5 子の皇子、第 13 子の皇女がその 3 人で、彼女たちはそれぞれ外務大臣、財務大臣、防衛大臣としての役割を担っていた。 76 人の中から皇位継承権を持つ選ばれし3人として、ユアサミ ヨ 皇帝に次ぐ信頼と尊敬の念を、アンドロメダ銀河皇国の民から集めていたのである。
また、この塔の構造だが、下部はいくつかの物体が螺旋状になって伸びている。最上部は櫓の様になっており、宮殿周辺の皇国民の生活を見守りつつ、外敵の侵入を監視しているである。
宮殿とその周辺の 76 本の塔にはもう1つ秘密がある。
それは、中央の宮殿が単体で巨大な宇宙船として、周辺の塔の 1 つ 1 つが 300 人乗りのロケットへと変形し、アンドロメダ銀河の他の星々を巡航することである。
皇国が存在するアメノホアカリダマから近い、親アンドロメダの星々への巡航の場合は宮殿本体と、ア・シュール、カ・シュールの 14 体のロケットで出発するが、天体から遠く離れた辺境の星々へと向かうときは、宮殿本体とア・シュールからウ・シュールまでの 11 層 76 体のロケットが全て出発したという。 76 体のロケットはその全てが虹の様に様々な色に光輝きながら飛行する。宮殿を守りながら目的地に向かう一大ロケット群は、雄大にして荘厳であり、航路上にある周辺の星の人々はその七色に光輝く巡航を見るたびに、一種の畏敬の念と、自分たちを守護している事に対する感謝、そして癒しの感情を得たと言われている。

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第1章  『アメノホアカリダマ』

地球から遥か 239 万光年離れたアンドロメダ銀河。
無数の星々が集まっているアンドロメダ銀河の中心に、その銀河の3分の1の大きさの巨大な天体が存在する。その天体は我々がよく知る恒星 や 惑星といったものとは違う、それらを超越した存在。それは「アメノホアカリダマ」と呼ばれていた。
その天体「アメノホアカリダマ」は、広大な大地を 、 白く光り輝く膜の様なものがすっぽりと覆っている。アンドロメダ銀河の他の星々からは、シャボン玉に似た水球の中に、緑豊かな広大な大地と青く輝く海とが見え、まさに宇宙に浮かぶ宝石の様であったという。
アメノホアカリダマの大地に降り立つと、そこからまず目にするのは澄みきったエメラルドグリーンの美しい空である。大地を覆う白く光り輝く膜が、その大地に根付いている生きとし生けるもの全てに癒しと安らぎを与える為に、この空の色を生み出しているのである。

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また、この膜の作り出すエメラルドグリーンの空は延々と続くわけではなく、我々の感覚でいう約半日でその輝きは一度休止する。すると、その大地ではエメラルドグリーンの空から青い空へと変わるのである。「青い空」と書いたが我々の地球で見るような所謂「青空」とは全く別物で、静かで深く暗い青である。アメノホアカリダマに住むものは、この青い空に大地が覆われているときは休息し、エメラルドグリーンの輝きの時に生命活動を行うのだ。我々が一日を昼と夜との繰り返しで過ごすのと同じである。
さらに 、アメノホアカリダマ内部にも四季がある。アンドロメダ銀河の楕円形の形がこの天体内部に四季を産み出しているのだ。銀河の中央に位置するアメノホアカリダマは、我々の住む地球と同じような自転運動をしており、その自転の影響で、内部の大地では、アンドロメダ銀河の白く輝く無数の星々のエネルギーをもっとも多く受ける部分と、それが少なくなってしまう部分とがある。この違いによってアメノホアカリダマでは地球と同じように美しい四季が存在するのである。
ちなみに、その四季は、現在の日本における近畿地方のそれと酷似しているのだという。その理由はこの物語の最後にご理解いただけるだろう。
そして、アメノホアカリダマ内の大地ではこの豊かな自然と四季により、栄養価の高い果物が簡単に手に入れることが出来た。
労せずして生命維持に必要なエネルギーを手にすることが出来る アメノホアカリダマ の民は、悲しみ、苦しみ、飢えとは完全に無縁の暮らしを送る事が出来たのである。

自分を取り戻す方法

今日、友人が訪ねてきたので、パスタランチをしました。私、パスタは得意なのですが、今日のはちょっと塩味が足りなかったかな???

夏野菜のサラダパスタですが、茄子だけはオリーブオイルでトロッとするまで炒めました。

サラダはヨーグルトとマヨネーズとレモンであえて、

スープは缶詰のコーンをブレンダーにかけて。。。超簡単レシピでした!!

最初はうちの神棚をみて神社の話になったのですが、スペシャルティコーヒーを入れて場所を移してケーキを食べたところから、友人のすご〜いお話が始まりました。

彼女は私と同じに面倒くさがりやだったそうです。私は面倒くさいけれど頑張って、とにかくどうにかこなしていたのですが、彼女は違いました。彼女が違った理由は

完全ひきこもり、完全やりたくないことはやらないを実践したこと

その期間は半年近く続いたそうです。

続けられた環境も素晴らしいと思ったら、まさに彼女の気づきの一つがそれだったそうです。ご主人と子供を送り出すとさっさとパジャマに着替えてカーテン閉めて寝たそうです。DVDを好きなだけ見て、、、でもみんなが帰ってくるのに、食事の支度するのが嫌だったので、何もしなかったら、それを見たご主人が「じゃぁ、お弁当買ってくるね」と言ってくれたそうです。

それで彼女は最初の気づきがありました。私が食事の支度をしなくてもちゃんとご飯食べられる。誰も文句も言わない。無理にしなくてもわかってくれる人たちがいる。やらなくても私の存在を認めてくれる人がいる。今までは外のばかり何かを求めていたけれど、一番居心地のいいところは我が家だったんだと。。。なんと素敵な気づき!!

そして、徐々にやりたい事をやり始めるとだんだん楽しくなってきて、おしゃれもしたくなり、外にも出て行くのが楽しくなり、そうしているうちに掃除も洗濯も普通にできるようになっていったのだそうです。

私も薄々それに気がついて自分の気持ちに従おうと一日好きな事をして過ごそうと思ったのですが、何をやろうか戸惑ってしまい、罪悪感を抱えながら、翌日になったら逆にホッとしてまた頑張り始めていました。完全に逆戻りです。^^; でも、彼女は徹底的にやったんですね。すごい勇気です。と言うと彼女いわく

頑張るのは簡単だけれど、頑張らないことはとても難しい

名言です!!私は頑張っていると言って、全く自分の声を無視していました。そして頭痛がすれば薬を飲んでまた頑張りました。彼女いわくこう言う生活は少しずつ身体に負担をかけてその負担は徐々に溜まっていき、ある時ドカンとくるのだそうです。

だから頭痛がしたら、熱が出たら、だるかったら身体の要求を聞いて休みましょう。

彼女の名言はもう一つあります。明日のブログで書きますね。

長くなったので、今日はこの辺で。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

神道は宗教?

皆さんは神道を宗教ととらえていますか?

Wikipediaでは

一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。

とあります。あまり私にはあまりしっくりきません。私たちが宗教を考える時、必ず教祖はだれ?と思いますよね。つまり教祖がいるのが宗教と考えられます。また、新興宗教をいわゆる宗教と考えることもできます。

神道は天照大御神をはじめとするたくさんの神々と太陽、月、星、山、自然、現象、、、取り上げたらキリがないくらいたくさんのものを対象に拝んでいます。私も初めてこうやって文章にしていますが、改めてその対象の多さに驚きました。

こうしてありとあらゆる「もの」や「こと」に神性を見出して拝んでいるのが神道です。この考え方の素晴らしいのは排他的にならないことです。一神教だったら、その他の神を排斥しようとしますが、神道にはそれがありません。これを宗教と言えるのでしょうか?

ある政治家が昭和天皇が崩御された時に「葬式は宗教行事だから参列しない」と言ったり、学校で「神社に参拝するのは宗教儀式だからやらない」と言っているのを聞いていると何を考えているんだろう?と思ってしまうのです。

日本は天皇が国を守るために毎朝祈りを捧げている唯一の国です。その天皇が崩御されたら国民が哀悼の祈りを捧げて何が悪いでしょうか?それは政治を超えた常識の部分だと感じます。

そして、戦前は当たり前に朝日を拝み夕日を拝み、何かあれば神社に御礼にお参りをしていたのです。それは日本人としての習慣であり、親から子へ当たり前に継がれていきました。それが戦争で神道を利用され、誤解が生じたのもあるのですが、神道への偏見が芽生えました。そして今では学校で祈るという大切な行為でさえ宗教と捉えて教育しなくなってしまったのは残念でなりません。

また、西洋の文化が入り込み、華やかな西洋文化に目を奪われました。そして日本の華やかとは言えないが清らかな優美な文化は忘れさられていってしまったのでした。

これは霊主体従から体主霊従への変化を意味します。どういうことかと言いますと、日本人が元来持っている八百万の神々への感謝を持つ意識は見えないものにも意識して感謝するという事ですが、それが見えるものだけを大切にする意識に変わっていったという事です。これが資本主義の典型的な考え方でもあるのですが、お金や物を持っていることがいいという意識に変わっていったというとわかりやすいかもしれません。

なにごとの おわしますかは 知らねども

かたじけなさに 涙こぼるる

これは西行法師が詠んだ歌ですが、私も思わず「そうだよね〜!」と頷いてしまうような句です。この見事な歌に私がここで言いたいことの全てが入っていると言っても過言ではありません。

使い捨てを平気で行い、他人事に目を奪われて我を忘れてしまったり、目先の利益のために全体の事を考えずに行動したり、、、これらは自分の目の前のことに感謝する気持ちがなくなったことから生まれてきます。感謝という気持ちを常に持っていれば、使い捨ては出来ず、他人にも気遣いや優しい気持ちが持て、目先のことに走らず、常に今やっていることの結果を考えて行動できるはずです。今の生活の中で一つでも気が付いて感謝する行動ができたら、とても大きな変化になっていくはずです。

他人が見ていようがいなかろうが、常に神と共に生きていると信じていれば、常に感謝の気持ちを持つことができ、傲慢や身勝手な行動がなくなっていくでしょう。

コロナ騒ぎで日本は緊急事態宣言が発令されました。それで何が起きたかというと、宇宙から見た地球の大気が綺麗になったのがわかったそうです。2ヶ月間自粛しただけで、大気が綺麗になったのなら、何とかこの状態を保つために、今までの生活を考えるべきではないでしょうか?何が私たちに出来るのかこの機会に考えてみてください。みんなが一つでも気が付いたら、日本だけでも1億の気づきが生まれます。これはとても大きな気づきです。その気づきのあとに何があるのかはまだわかりませんが、きっと次の世代の礎になると思います。

この気づきはもともと感謝する事を生活の中に持っていた日本人だからこそ必要なのです。私達が古代から根底に持っているこの感謝という生活様式を復活させる事で、資本主義から次の新しい文化へ移行していけるのだと思います。

うまく表現できなくて、わかりにくいかもしれませんが、最後まで読んでくださって有難うございました。

豊葦原瑞穂国

何やら難しい文字が並びましたが、これは

とよあしはらのみずほのくに

と読みます。そう、日本のことです。日本はお米が主食の国です。でも、それだけの事でこんなに素晴らしい別名があるのは何故なのでしょうか?

デジタル大辞林には《神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意》日本国の美称とあります。

マクロビオティックではお米の事を陰陽のバランスが取れた最高の食物と表現しています。なぜ陰陽のバランスが取れているのかというと、お米の成長過程で稲が天に向けて育っていきます。しかし実が育つと稲穂が垂れて地に向きます。これは天に向けて陰の気を取り込んだ後、地に向かい陽の気を取り込む事を表します。このような成長過程を持つ植物はほとんどないのです。

陰陽のバランスは当然人間にも言える事なのですが、明るい、活発、元気、男性などは陽性を表現し、暗い、引きこもり、病気、女性などは陰性を表現します。

現代社会では電子レンジを使ったり、パソコンやスマホを見たりする時間が長いので陰性の生活になります。すると身体に陰性がたまり病気になりやすくなります。

マクロビオティックは多くの場合、陰性に傾いた身体を陽性にするための食事療法です。優しく長い時間をかけて加熱した食物は陽性になるので、陰性の身体を中和してくれます。

ここで優しく長時間かけて陽性にするというのが重要なのです。

炎の中で鍋を動かして食材を踊らせるように調理したものは陽性ではありますが、この場合身体に取ると確かに元気にはなるのですが、これは極陽性ですので例えば行動が過激になったり大笑いしてみたりと極端な陽性反応を起こすことがあります。身体は中和しようとしますので、甘い物などを食べて陰性を取ることで中和しようとするわけです。すると今度は極端な陰性反応が起こったりするわけです。これでは精神的に波がありすぎて身体が大変です。

精神的な波やブレが起こりにくい生活が中道と言います。それには食事がとても大きな影響を与えます。最初から中庸に近い玄米を中心とする食物をとっていると身体にブレがなくなり、自然とブレない生活ができるようになってきます。和食は中庸な食事です。

例えば塩分が多いと問題視される漬物や味噌汁ですが、塩を長い時間をかけて調理しているので中庸なのです。味噌も長い時間かけて熟成させいているのでやはり中庸なのです。こういったことからも和食は日本人に合った日本にある食材を最高の状態で食べれるようにした料理法と言えるでしょう。

今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

身土不二

身土不二って何でしょう?

もともとは仏教用語で「因果応報」「世は人を映す鏡、人は世を写す鏡」と説明されることもあるようです。これではよくわからないので、私が学んだマクロビオティックの視点から身土不二を説明させていただきますね。

https://macrobioticweb.com/about/shindo.shtml

上記のリンクはマクロビオティックWEBのサイトで、身土不二だけではなく、一物全体も解説してあります。

簡単に言えば、身土不二は自分の暮らしている場所の季節の食物を食べましょうということです。

日本に住んでいる私たちは日本の気候に合わせた身体づくりをしなくてはなりません。そのためには日本の野菜で作られた和食を食べるのが一番いいのです。なぜかというと自然に生息できるものはそれがそこに育つのに適しているから生息できるわけです。ですからそういうものを食べればそれから得られる栄養はその土地に生息するのにふさわしいものが含まれているということです。

極端な話ですが分かりやすく言うと、日本人はカレーが好きな人が多いですよね。かくいう私もカレー大好き人間です。でも私は冬には極力カレーを食べないようにしています。なぜならば、カレーはもともとインドの食事です。インドは熱帯でインドで生活するために身体を冷やす必要があるのです。そのための食事ですから、日本の気候には適していない食事と言えます。食べると身体が温まるように感じますが、実は汗をかいて身体を冷やしているのです。ですから日本で海外の料理を食べるとしたら、嗜好品と考えたほうがいいでしょう。

一物全体とは野菜なら皮をむかないで食べましょうというようなことです。お魚なら大きな魚の切り身ではなく、頭からしっぽまで食べれる小魚を食べましょうということです。全体食とも言いますが、例えばお米だと、玄米で食べるのが全体食と言えます。

最後にどうしても言いたいことがあります。それは・・・

食べ物は生き物だったということです。動物だけでなく野菜もその命をいただいているということです。ですから感謝していただいて欲しいのです。これは一番大切なことだと思います。

今日も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

食べ物について

みなさま、如何お過ごしですか?

今年のお正月に誰が今のこのような状態を想像していたでしょう?ほんの4か月の間に世の中の状況は大きく変わってしまいました。

輸入食材が少なくなってきた今、少し今までの生活を振り返ってみていただきたいのです。そこで質問です。

買った食材を食べきっていますか?

私は値段ばかり気にしている人を見るといつも疑問に思ってしまいます。買ったのに捨てている食品の値段を考えたらどれだけ無駄をしているかを考えて欲しいのです。

逆に少し高くても今までより少なめに買って新鮮なうちに全部使いきっていれば、それの方が無駄がないように思うのです。栄養的にも栄養価が高いうちに食べられます。安いからとたくさん買って使いきれずに捨てているよりもトータル的には安いのではないかと思います。しかも生産者の人も喜びます。

また、加工された食材ばかり食べている子供は元の形がどんなものかを知らないそうです。それなのでそういう野菜をただの「物」としてとらえてしまっているのは少し寂しいです。生きているものをいただいているということを知ったうえで食べて欲しいです。

採れたての野菜

これから輸入品が少なくなって、日本人は日本の食材を中心に食べるようになるでしょう。私はこれはある意味とてもいいことだと思っています。なぜならば、昔から身土不二といって、人はその人が生活している土地の物を食べるのが一番いいとされているからです。

また、農耕民族である日本人が狩猟民族の真似をしてお肉を食べても、日本人にはお肉の消化酵素が少ないために、身体にいい影響を与えません。栄養学の先生方がいろいろな説を唱えています。動物性たんぱく質を摂るように進める人もいます。中には「米は炭水化物なので身体に悪い」という考えもあります。本当にそうなのでしょうか?私は疑問に思ってしまいます。

日本は葦原の瑞穂の国(あしはらのみずほのくに)といわれていた古代からお米を大切に食べてきました。神さまにお供えするのもお米です。

マクロビオティックや正食では玄米とみそと梅干で完全食といっています。また、玄米とみそとイワシの干物でも完全食という考えもあります。今の人たちは「これでは栄養が足りない」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。逆に現代は食べ過ぎなのです。

糖分を減らすことは大切です。脂質もそんなに必要ありません。でも、お米を主食とすることは大切です。

★無駄に食品を買わない。

★買うものは出来るだけ身近な産地の物を買う。

★主食はお米、出来れば玄米が日本人には最適。

これを考えてみませんか?なぜ私がここでこのようなことを発言しているのかをこれから少しずつ説明していきたいと思います。

最後まで読んでくださって有難うございました。

ごみの出し方について一考

ゴミステーションにゴミを出しに行くと「どんなものかな」という捨て方をされている人を見うけます。捨てたものに責任がないと思っているのでしょうか?

我が家はもう20年以上の間、可燃ごみは20lの袋に週1回出すだけです。これももう少し減らしたいと思って、いろいろ努力しているのですが、これから先がなかなか減りません。せめてその半分の週1回10lにしたいのですが。。。

ゴミは行政でも頭を抱える課題です。どうやったらゴミを少なくできるか?どうやったら燃焼によって排出される有害物を減らすことができるか?

数値だけを減らすという取り組みには限界があります。

企業への協力は当然となってきましたが、私はやはり一戸一戸の家庭から出るごみを減らすことが環境への最大の貢献だと思っています。企業は個人の集まりで成り立っています。その個人が家庭でゴミを捨て放題に捨てていたら、その発想は必ず企業へ反映されていきます。

家庭から出すごみを最小限にすれば、家庭で努力している人が集まる企業では必ず排出が減るはずです。

ではどうしたらいいでしょうか?

ごみ

わたしは長年ゼロエミッションを自分に掲げてきました。少しその取り組みの内容を説明しますね。

生ごみはコンポストに捨ててゴミを出しません。マンションの時は生ごみ乾燥機を使っていました。乾燥後のごみは再加工する以外はゴミとして出すことをお勧めします。ベランダの植物の肥料にしようとしたら、においが強くて大失敗した経験があります。

今では当たり前になりつつありますがエコバッグを使います。私のエコバッグ歴は20年ほどになります。捨てるのがイヤで何でも貯めていて、レジ袋もきれいに畳んで何かに使おうと思っていました。ところが引越しをすることになって家中を整理していると、その再利用待ちのレジ袋が段ボール1箱にもなっていたのです。それでエコバックを持つようになりました。

資源ごみは新聞紙、雑誌、段ボールだけではありません。カレールーのパッケージ、お菓子の箱、DM、梱包材、封筒、コピー用紙なども全部資源ごみです。ビニールやプラスチックがついている場合はその部分を取って紙だけにして出します。衣類は資源ゴミです。

例えば新聞紙で包まれてきたものは、中身を取り出した後、新聞紙を伸ばして畳んで資源ごみに出します。封筒も済んだカレンダーもお菓子の箱も、包装紙も資源ゴミです。紙袋の取っ手のプラスチックの部分は取り外して資源ゴミです。

こうしていると捨てるものはティッシュや汚れた紙類、汚れたビニールだけになります。食品で汚れた袋も洗って捨てます。それなのでゴミ箱が臭うこともありません。

先日驚くような光景を見ました。若い奥様なのですが、プラスチックごみの収集の時に袋の中のカップラーメンに割りばしが入ったまま捨てているではありませんか。こんな状態ですから、洗っていないのは想像がつきますが、割りばしは少なくとも可燃ごみに捨てるべきものです。

最近特にこういう発想の人が多くなったように思います。家の外に出してしまえば自分とは関係ないと思っているのでしょうか?自分がイヤな思いをするのではないからいいと思っているのでしょうか?一戸だけ反則したっていいじゃないかと思っているのでしょうか?なんとも自分勝手な考え方です。がっかりさせられます。

大和なでしこのみなさん、わたしからの提案です。今出しているごみを半分にする努力を私と一緒にしませんか?最初はちょっと面倒ですが、慣れてくると当たり前の作業になります。一人一人が努力をしたら、必ずその人の周りからだんだん広がっていくはずです。いいインフルエンサーになりましょう!!

ソックス繕い

穴が開いたソックスを見つけました。

いつもなら捨てていたソックスですが、考えてみるともう片方は穴が開いていないんですよね。それなのに捨ててしまうのは如何なものかと思い繕うことにしました。

単純に縫い目を合わせて縫うのでもOKですが、今回はあて布をしてみることにしました。それの方が、歩いた時に違和感がないと思ったからです。

コロナでこれからの経済社会は大きく変わります。こんなささやかなことからも気持ちが変わっていくと思います。もう使い捨ての時代は古いです。これからは昔と同じ使いきる時代です。それが資源を大切にすることに繋がります。

繕って使うことは恥ずかしい事でも貧しさの表れでもなく、これからは使いきることへの勲章だと思います。勲章なら敢えて見えるように、わかるように繕いたいと思いました。繕っていることを楽しみたいと思いました。

わたしは手芸が得意ではないので、下手ではありますが、動画を撮ってみました。

みなさまの気持ちの転換のお役に立てればいいと思っています。

今日も最後までお読みいただき、有難うございました。