身土不二

身土不二って何でしょう?

もともとは仏教用語で「因果応報」「世は人を映す鏡、人は世を写す鏡」と説明されることもあるようです。これではよくわからないので、私が学んだマクロビオティックの視点から身土不二を説明させていただきますね。

https://macrobioticweb.com/about/shindo.shtml

上記のリンクはマクロビオティックWEBのサイトで、身土不二だけではなく、一物全体も解説してあります。

簡単に言えば、身土不二は自分の暮らしている場所の季節の食物を食べましょうということです。

日本に住んでいる私たちは日本の気候に合わせた身体づくりをしなくてはなりません。そのためには日本の野菜で作られた和食を食べるのが一番いいのです。なぜかというと自然に生息できるものはそれがそこに育つのに適しているから生息できるわけです。ですからそういうものを食べればそれから得られる栄養はその土地に生息するのにふさわしいものが含まれているということです。

極端な話ですが分かりやすく言うと、日本人はカレーが好きな人が多いですよね。かくいう私もカレー大好き人間です。でも私は冬には極力カレーを食べないようにしています。なぜならば、カレーはもともとインドの食事です。インドは熱帯でインドで生活するために身体を冷やす必要があるのです。そのための食事ですから、日本の気候には適していない食事と言えます。食べると身体が温まるように感じますが、実は汗をかいて身体を冷やしているのです。ですから日本で海外の料理を食べるとしたら、嗜好品と考えたほうがいいでしょう。

一物全体とは野菜なら皮をむかないで食べましょうというようなことです。お魚なら大きな魚の切り身ではなく、頭からしっぽまで食べれる小魚を食べましょうということです。全体食とも言いますが、例えばお米だと、玄米で食べるのが全体食と言えます。

最後にどうしても言いたいことがあります。それは・・・

食べ物は生き物だったということです。動物だけでなく野菜もその命をいただいているということです。ですから感謝していただいて欲しいのです。これは一番大切なことだと思います。

今日も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

食べ物について

みなさま、如何お過ごしですか?

今年のお正月に誰が今のこのような状態を想像していたでしょう?ほんの4か月の間に世の中の状況は大きく変わってしまいました。

輸入食材が少なくなってきた今、少し今までの生活を振り返ってみていただきたいのです。そこで質問です。

買った食材を食べきっていますか?

私は値段ばかり気にしている人を見るといつも疑問に思ってしまいます。買ったのに捨てている食品の値段を考えたらどれだけ無駄をしているかを考えて欲しいのです。

逆に少し高くても今までより少なめに買って新鮮なうちに全部使いきっていれば、それの方が無駄がないように思うのです。栄養的にも栄養価が高いうちに食べられます。安いからとたくさん買って使いきれずに捨てているよりもトータル的には安いのではないかと思います。しかも生産者の人も喜びます。

また、加工された食材ばかり食べている子供は元の形がどんなものかを知らないそうです。それなのでそういう野菜をただの「物」としてとらえてしまっているのは少し寂しいです。生きているものをいただいているということを知ったうえで食べて欲しいです。

採れたての野菜

これから輸入品が少なくなって、日本人は日本の食材を中心に食べるようになるでしょう。私はこれはある意味とてもいいことだと思っています。なぜならば、昔から身土不二といって、人はその人が生活している土地の物を食べるのが一番いいとされているからです。

また、農耕民族である日本人が狩猟民族の真似をしてお肉を食べても、日本人にはお肉の消化酵素が少ないために、身体にいい影響を与えません。栄養学の先生方がいろいろな説を唱えています。動物性たんぱく質を摂るように進める人もいます。中には「米は炭水化物なので身体に悪い」という考えもあります。本当にそうなのでしょうか?私は疑問に思ってしまいます。

日本は葦原の瑞穂の国(あしはらのみずほのくに)といわれていた古代からお米を大切に食べてきました。神さまにお供えするのもお米です。

マクロビオティックや正食では玄米とみそと梅干で完全食といっています。また、玄米とみそとイワシの干物でも完全食という考えもあります。今の人たちは「これでは栄養が足りない」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。逆に現代は食べ過ぎなのです。

糖分を減らすことは大切です。脂質もそんなに必要ありません。でも、お米を主食とすることは大切です。

★無駄に食品を買わない。

★買うものは出来るだけ身近な産地の物を買う。

★主食はお米、出来れば玄米が日本人には最適。

これを考えてみませんか?なぜ私がここでこのようなことを発言しているのかをこれから少しずつ説明していきたいと思います。

最後まで読んでくださって有難うございました。

ごみの出し方について一考

ゴミステーションにゴミを出しに行くと「どんなものかな」という捨て方をされている人を見うけます。捨てたものに責任がないと思っているのでしょうか?

我が家はもう20年以上の間、可燃ごみは20lの袋に週1回出すだけです。これももう少し減らしたいと思って、いろいろ努力しているのですが、これから先がなかなか減りません。せめてその半分の週1回10lにしたいのですが。。。

ゴミは行政でも頭を抱える課題です。どうやったらゴミを少なくできるか?どうやったら燃焼によって排出される有害物を減らすことができるか?

数値だけを減らすという取り組みには限界があります。

企業への協力は当然となってきましたが、私はやはり一戸一戸の家庭から出るごみを減らすことが環境への最大の貢献だと思っています。企業は個人の集まりで成り立っています。その個人が家庭でゴミを捨て放題に捨てていたら、その発想は必ず企業へ反映されていきます。

家庭から出すごみを最小限にすれば、家庭で努力している人が集まる企業では必ず排出が減るはずです。

ではどうしたらいいでしょうか?

ごみ

わたしは長年ゼロエミッションを自分に掲げてきました。少しその取り組みの内容を説明しますね。

生ごみはコンポストに捨ててゴミを出しません。マンションの時は生ごみ乾燥機を使っていました。乾燥後のごみは再加工する以外はゴミとして出すことをお勧めします。ベランダの植物の肥料にしようとしたら、においが強くて大失敗した経験があります。

今では当たり前になりつつありますがエコバッグを使います。私のエコバッグ歴は20年ほどになります。捨てるのがイヤで何でも貯めていて、レジ袋もきれいに畳んで何かに使おうと思っていました。ところが引越しをすることになって家中を整理していると、その再利用待ちのレジ袋が段ボール1箱にもなっていたのです。それでエコバックを持つようになりました。

資源ごみは新聞紙、雑誌、段ボールだけではありません。カレールーのパッケージ、お菓子の箱、DM、梱包材、封筒、コピー用紙なども全部資源ごみです。ビニールやプラスチックがついている場合はその部分を取って紙だけにして出します。衣類は資源ゴミです。

例えば新聞紙で包まれてきたものは、中身を取り出した後、新聞紙を伸ばして畳んで資源ごみに出します。封筒も済んだカレンダーもお菓子の箱も、包装紙も資源ゴミです。紙袋の取っ手のプラスチックの部分は取り外して資源ゴミです。

こうしていると捨てるものはティッシュや汚れた紙類、汚れたビニールだけになります。食品で汚れた袋も洗って捨てます。それなのでゴミ箱が臭うこともありません。

先日驚くような光景を見ました。若い奥様なのですが、プラスチックごみの収集の時に袋の中のカップラーメンに割りばしが入ったまま捨てているではありませんか。こんな状態ですから、洗っていないのは想像がつきますが、割りばしは少なくとも可燃ごみに捨てるべきものです。

最近特にこういう発想の人が多くなったように思います。家の外に出してしまえば自分とは関係ないと思っているのでしょうか?自分がイヤな思いをするのではないからいいと思っているのでしょうか?一戸だけ反則したっていいじゃないかと思っているのでしょうか?なんとも自分勝手な考え方です。がっかりさせられます。

大和なでしこのみなさん、わたしからの提案です。今出しているごみを半分にする努力を私と一緒にしませんか?最初はちょっと面倒ですが、慣れてくると当たり前の作業になります。一人一人が努力をしたら、必ずその人の周りからだんだん広がっていくはずです。いいインフルエンサーになりましょう!!

ソックス繕い

穴が開いたソックスを見つけました。

いつもなら捨てていたソックスですが、考えてみるともう片方は穴が開いていないんですよね。それなのに捨ててしまうのは如何なものかと思い繕うことにしました。

単純に縫い目を合わせて縫うのでもOKですが、今回はあて布をしてみることにしました。それの方が、歩いた時に違和感がないと思ったからです。

コロナでこれからの経済社会は大きく変わります。こんなささやかなことからも気持ちが変わっていくと思います。もう使い捨ての時代は古いです。これからは昔と同じ使いきる時代です。それが資源を大切にすることに繋がります。

繕って使うことは恥ずかしい事でも貧しさの表れでもなく、これからは使いきることへの勲章だと思います。勲章なら敢えて見えるように、わかるように繕いたいと思いました。繕っていることを楽しみたいと思いました。

わたしは手芸が得意ではないので、下手ではありますが、動画を撮ってみました。

みなさまの気持ちの転換のお役に立てればいいと思っています。

今日も最後までお読みいただき、有難うございました。

八雲琴とわたし - その3

話が長くなりますが、もう一つお付き合いください。

八雲琴のエピソードでもう一つ、忘れられないものがあります。

2013年3月20日の岡山県の石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社での奉納演奏です。

八雲琴演奏後

この時もお正月にふとこのお社でお琴を弾きたいと思い、知り合いの総代さんを通じて神社にお願いをしました。

ここで弾くのはひふみ祝詞と思っていました。私の作曲です。

ひふみ祝詞

ひふみよいむなやこのと もちろらねしきるゆいつわぬそおた

はくめかうをえにさりへての ますあせゑほれけん

しかし、どうも違うのです。八雲琴の江戸時代の譜面には天の数歌(あめのかずうた)という曲があります。

天の数歌

ひとふたみよいつむななやここのたりや

ひとふたみよいつむななやここのたりや

ひとふたみよいつむななやここのたり ももちよろず

ふるへゆらゆら ふるへゆらゆら

どうやら数歌を演奏するほうがいいように思いました。それではとたまたま以前に八雲琴の師匠であられる近藤先生からお借りした本のコピーがあるはずと探してみると、出てきました!

それを奉納すればいいと思っていたのですが、

そう簡単にはいきませんでした。

何しろ譜面は文字だけで、メロディーがイメージできません。

本番1週間前になっても曲にならず、

自作のひふみ祝詞を演奏しようかと諦めかけていた時に

ふと気が付くとお琴の上に天鈿女命(あめのうずめのみこと)が後ろ向きで現れ

天の数歌が大祓のための曲であること

をお姿を現してくれただけで教えてくださいました。

そんなことがあって、わたしは本番でこの曲を弾くことができたのでした。

いつも新しい曲ができると主人に聞いてもらっていたのですが、

この時はそんな時間もなく、本番で初めてこの曲を聞いた主人は、

「こんな曲だったの~」と言っていました。

舞は神楽鈴を持っての天と地の清めの舞でした。

奉納演奏を無事に終え、演奏後にいつも感じるすがすがしい気持ちに加えて、改めて私はこのお琴の大切さを感じざるを得ませんでした。

八雲琴。。。

不思議なお琴です。

今日も最後までお付き合いくださいまして、有難うございました。

八雲琴とわたし - その2

八雲琴はとても不思議なお琴です。

今までにいろいろな不思議なことがありましたが、八雲琴とわたしの出会いのエピソードをお話しさせていただきます。

15年ほど前、当時わたしは夫の転勤で愛媛県西条市に住んでいました。石鎚山の麓で水が豊かでおいしいので有名なところです。最初は単身赴任を考えていたのですが、転勤先が四国と聞いて思わず「一緒に行く!!」と言ってついていったのでした。

引越しして落ち着いたころ、近くに13弦のお琴の教室があるのを見つけて、入門しました。ホツマツタヱのアワ歌に伴奏を付けたかったからです。3か月くらいで六段の調べが弾けるようになってもアワ歌の伴奏は一向に進みませんでした。

そんなある日、確か言魂についてネットサーフしていたところ、八雲琴というお琴があることを知りました。その晩ヤフオクになんとそのお琴が出品されているのを見つけ落札しました。届いたのはボロボロのお琴でした。

私はすぐにネットでこのお琴を修復してくれるところを探したところ、京都にただ1件八雲琴の製造をしている職人さんがいることを見つけて、すぐに電話しました。すると奥様が出てこられて、話しているうちに私が愛媛県西条市に住んでいるのを知り、とても喜ばれて、何かと思ったら、奥様はご出身が西条市の隣の新居浜市だったということで、快く引き受けてくださいました。それで私は早速お琴を持って京都に伺いました。

とても古い町並みの一角にありました。奥様が出ていらして、「実はあの後主人に叱られました。一見さんはお断りするように言われていたんです。」と言われました。するとご主人が出ていらして、はるばる愛媛から出てきたので追い返すわけにもいかずしぶしぶ「こういうお琴なので、修復には時間がかかります。3年くらい考えていてください。」と言われました。私はちょうど龍笛も練習したいと思っていたので、お琴が届くまでの間に龍笛を練習すればいいかと思い、「はい、わかりました。お願いします。」と言って帰りました。

3か月たったある日、「お琴の修理が出来ました。」と連絡が入りました。3年と言っていたのに??と不思議に思いましたが、急いで引き取りに行きました。そこにはあのぼろぼろのお琴が見事によみがえっていました。3年かかるはずが3か月で戻ってきてくれました。

八雲琴

八雲琴を演奏するのに必要なものを一式そろえて帰りましたが、さてどうやって弾くのかさっぱりわかりません。ネットで八雲琴を検索していると、江戸時代に復元した中山琴主の生まれ故郷が四国中央市でそこに八雲琴の資料館があるのがわかりました。近くには八雲神社もあります。資料館に行けば何か手がかりがわかるだろうと週末に行くことにしました。

ところがその日、朝から頭痛が出て寝込んでしまいました。せっかく手がかりをつかめると思っていたのに・・・と思っていると、お昼過ぎにピタッと頭痛が止まってしまったのです。この時間なら十分行けると思ってまずは八雲神社にお参りをしてから資料館に行くことにしました。

八雲神社で手水していると何やらお琴の音が・・・、振り返ってお社の方を見てみると巫女装束をつけた子供が6人くらい、八雲琴を弾いているではありませんか・・・

あっ、八雲琴がこんなにたくさん・・・

と思ってのぞき込んでいると、中からひとりの女性がでていらして「どうかなさいましたか?」と聞かれるので、今までのいきさつを話しました。すると「どうぞお上がりください」といって、八雲琴の演奏を間近で聞かせてくださいました。私は感激してしまって、「入門させてください!!」と言うと快く受けてくださって、翌週からお稽古に通うことになりました。この女性が近藤先生と言って八雲神社の元宮司さまで、八雲琴の研究を熱心にされていらっしゃる方でした。私の大大大好きな先生です!

後でわかったことですが、その日はたまたま文化祭のリハーサルをするために集まっていたそうで、私が午前中に頭痛がでて出かけるのが遅れたために出会えたのでした。

翌週、意気揚々とお稽古に向かい、手ほどきを受けて帰る途中の車の中でふと、「アワ歌に伴奏が付けられる」と思いました。家に帰って早速習いたてのお琴を弾いてみると、、、今まで歌っていた音程のまま、いきなり八雲琴の伴奏がついたのでした。!!

そして、このお琴のことを調べていると「八雲琴の調べー神話とその心」窪田英樹著にこのお琴を作らせた神がオオタタネコノミコトだということが書かれていて、それを読んだ私は髪が総立ちになるくらい驚いたのでした。なぜ??

私が初めてホツマツタヱに出会ったのが20数年前。

そこに書かれているアワの歌を歌い出したのが15年くらい前。

そして今八雲琴に出会ってアワの歌に伴奏を付けて歌っている。

その八雲琴はオオタタネコノミコトが中山琴主に作らせたお琴。

そして

オオタタネコノミコトはなんとホツマツタヱの編纂者!!!

ホツマツタヱーアワの歌ー八雲琴が一本の線で繋がった瞬間だったのでした。

このお琴を大切に大切に弾いていこうと決心した瞬間でした。

長い文章をお付き合いくださって、有難うございました。

このお琴にはいろいろなエピソードがあるのですが、もう一つ大切なエピソードがあるので次回お伝えしますね。

八雲琴とわたし ー その1

私は今から10数年前に八雲琴というお琴に出会いました。

八雲琴は江戸時代に四国に住む中山琴主が杵築大社(今の出雲大社)に

参篭した時に神がかって作ったと言われる二弦琴です。

もとは須佐之男命が大国主命に授けた天の沼琴(あめのぬごと)だと

言われています。

八雲琴演奏 ~みさかえ~

わたしは

20数年まえにホツマツタヱという古文書に出会い

15年くらい前に鳥居礼さんの「言霊ーホツマ」を読んで

一気に理解が進み

そこに出てくる「あわのうた」を声を出して読んでいるうちに

自然に曲が付き

お琴の伴奏が欲しいと思って

13弦のお琴を習いましたが???何か違う・・・

そんな時、グーグルで「八雲琴」というものがあるのを知り

その夜、ヤフオクに出品されているのを発見し落札。

届いたものがボロボロだったので

日本にただ一人、京都で八雲琴を製造・修復をしているという方を訪ね

3か月後に修復していただいたお琴を受け取る

が、演奏方法がわからない。。。

と、思っていると四国中央市に八雲神社があり、元宮司の方が

子供たちを集めて教えていることを知り、即入門。

弾き方を習った帰り道で、「あわのうた」に伴奏が付けられると思い

家に帰って弾いてみると。。。

なんといっぺんで弾けたのでした!!

あわのうたはこうしてその時のまま、いまも歌い続けているのでした。

ある日、「八雲琴の調べー神話とその心」窪田英樹著に

このお琴を復元した中山琴主がチャネリングしていた相手が

大田田根子命(おおたたねこのみこと)だと書いてあるのを見つけて

わたしの髪は総立ちになったのです!!

えっ、なんですって!!!!!

ホツマツタヱの作者は大田田根子命

20数年かけて・・・

ホツマツタヱ - あわのうた - 八雲琴

と1本の糸で繋がった瞬間だったのでした━━━(゚o゚〃)━━━!!!

偶然の出会いが生み出した不思議なご縁でした。

私はこのお琴を弾くことに使命を感じ

丁寧に弾いていくことを心に誓ったのでした。